世界遺産「富岡製糸場」にマイクロツーリズム
こんにちは。
東京、埼玉と続き、今回は2014年に世界遺産登録された群馬「富岡製糸場」にマイクロツーリズムです。
富岡製糸場は1872年(明治5年)に設立された、日本初の本格的な器械製糸工場と言われています。
絹産業の技術革新・交流などにも大きく貢献した工場であり、敷地を含む全体が国の史跡に、初期の建造物群が国宝および重要文化財に指定されているとのことです。
江戸時代末期、鎖国政策を変えた日本は外国と貿易を始め、その当時の最大の輸出品は「生糸」でした。しかしながら生糸の輸出が急増したことにより、質の悪い生糸が大量に作られたそうです。
諸外国から生糸の品質改善の要求や外国資本による製糸工場の建設の要望が出され、明治政府は外貨獲得のため、洋式の繰糸器械を備えた官営の模範工場を作ることを決め、この富岡製糸場ができたと言われています。
こちらは繭から糸を取る作業が行われた「繰糸所」。
長さが約140mある繰糸所には300釜の繰糸器が並び、当時の製糸工場としては世界最大規模でした。
この繰糸器の並びは圧巻!
近くで見ると、今でも動き出しそうな感じです。
こちらは主に繭を貯蔵していた「東置繭所」。
長さは約104mの巨大な繭倉庫で、2階に乾燥させた繭を貯蔵し、1階は事務所・作業場として使っていたそうです。
女性達の労働力で成り立っていた富岡製糸場。
こちらは女子寄宿舎の「妙義寮」。
製糸場の労働環境は過酷なイメージがありますが、明治期としては恵まれており、当時としては時代の先端を行く日曜休み、年末年始と夏期の各10日間の休暇、約8時間/1日の労働、さらには食費・寮費・医療費などは製糸場持ちという好待遇で、労働環境は充実していたそうです。
富岡製糸場の働き方が、後の日本の働き方や福利厚生制度を変えていったとも言われています。
この富岡製糸場は1987年(昭和62年)まで操業が続き、現在も建物を残してその歴史が語り継がれています。
富岡の先の軽井沢に行かれる方は多いかと思いますが、一度手前の上信越道「富岡IC」で高速をおりて、立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
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